『一番じゃないと意味がない』という檻に囚われていた
気づいていないだけで、あなたも同じかもしれません。
もしくは、気づいていて『誰の一番にもなれない自分』に悩んでいる?
誰かの一番になりたい
自分には
- 一番じゃなければ、価値がない
- 一番じゃないと、意味がない
- 一番をとれないのであれば、やる意味がない
という思考のクセ?があることに気づきました。
なんでも『一番であること』にこだわってしまう。
たとえば「一番好きなアーティストは誰なんだろう?」という問いが頭に浮かんだとします。
最近よく聞いているのは米津玄師、椎名林檎だからそのどっちかかな?
いやでも、昔からのスカパラとかサカナクションでは……うーん、となる。
「一番好きな食べ物は何だろう?」って浮かぶと、よく食べていたのはグミとか、からあげ。
でも、食べ物全般好き。
一番好きな食べ物って何なんだろう。
当たり障りのない質問だし、一番を必ず決めなくちゃいけない質問でもありません。
でも、『一番を決められない自分』にもやもやします。
そして、自分を少しだけ責める。
心が風船みたいに丸いとして、針でチクリと刺す、みたいに。
割れちゃいそうなんだけど、不思議と割れない。
でも、少しだけ痛い。
よくやってしまっているのが「この人の一番は誰なんだろう?」と考えること。
友だちと話しているときに、ふと「この人の一番は誰なんだろう?」と心の中の自分が聞いてきます。
この人には他にも友だちがいて、私はその中の1人なんだろうなと思うと、今の自分には意味がないような気持ちになってきます。
自分は誰かの一番になれない。
なれていない。
だから、まわりを見て「自分が一番になれそうな人」を探す。
誰かの一番になれている自分に安心したいのです。
一番効果があった例をいくつか紹介しよう
一番であることに必要以上にこだわってしまう。
この『一番思考』に気づいたのは、とある本でした。
こんな文章が目についたのです。
「それでは、一番効果があった例を次ページでいくつか紹介しよう」
同じくらい効果があった例があって、それは等しくみんな一番。
次ページでそれを紹介していく。
言いたいことはわかるのですが……。
そして、本能的に感じた違和感。
一番は一番だし、他に並んでいるものがいないから、一番なのではないか?
もっと、楽になっていい
「この違和感の正体は何なんだろう?」と考えた結果、一番思考に気づきました。
気づいたときは、本当に心が軽くなったように思いました。
「あなた一番にとらわれすぎだよ。もっと楽に考えていいんだよ」って。
ガチガチにはまっていたフレームが取り外されて、身軽になれたような、
ボッテボテに着膨れした状態の心を、脱いでもいいんだよと許可されたような、不思議な感覚です。
今でも一番思考になっているときがあるんですが「あぁ、一番思考になっているな」と分かるようになりました。
知らずにしてるのと、してるのに気づけるのは大きく違いますよね。
なぜ一番思考が心に根付いてしまったのか
一番思考って決して楽な考え方ではないですよね。
むしろ苦しい。
一番じゃなければやる価値がないなんて、最初からものすごく高い場所を自分に求めているのですから。
こうなってしまったのは多分ですが、家庭環境のせいかな?と思っています。
私は母子家庭で育ちました。
帰っても母は仕事でいなくて、音がしない家にひとりきり。
おぼろげですが、部屋でひとり、リビングの角にあるテレビをボーッと床に座りながら、ずっと見ている記憶が残っています。
周りには絵本や人形?(みたいなもの)が散らばっていて。
絵本を読んだり、人形で遊んだりするのですが、ひとりはやっぱりさみしかった。
テレビだったら、自分で動かなくても勝手にキャラクターが動いて、しゃべって、進んでくれますよね。
だから、ずっと飽きることなくテレビを見ていたのでしょう。
母が帰ってくるその瞬間まで。
埋まらないさみしさを埋めるように。
そんなときに、何かで一番をとれたようなことがあったんじゃないかなと思います(抽象的でごめんなさい)。
それを母に話したら「一番なんてすごいじゃん!がんばったねぇ〜」なんて褒められたんじゃないかな?
幼い私は「そうか!一番を取れば、母は喜んでくれる!ほめてくれる!私を見てくれる!」と考えたのでしょう。
それから、一番であることにこだわるような思考になった。
あのときのさみしさを埋めるために。
埋めてもらうために、かな?
すべて推測です。
でも、自分で納得ができているので、違っていてもいい。
あの頃の私にかける言葉
一番じゃなきゃ価値がない?
一番じゃなきゃ意味がない?
一番をとれなければやる意味がない?
今までそうやって、ずっと頑張ってきてくれてありがとう。
でも、もう気張って頑張ろうとしなくていいんだよ。
ありがとう。
あなたは?
私の『一番思考』の根底にあったのは、さみしさでした。
自分をもっと見てほしくて、褒めてほしくて、愛してほしかった。
ただ、見ていてほしかった。
あなたは?
あなたにも同じように『一番思考』が根付いているのかもしれません。
あなたの『一番思考』の根底にある感情は、いったい何なのでしょう?
深い部分にある感情が分かれば、『一番思考』を紐解く手がかりになるはずです。
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