なぜ駅前の選挙演説はあそこまで心に響いてこない?
選挙の季節になると、駅前は騒がしくなります。
足を止めて聞いている人はどのくらいいるのでしょう。
駅前に立って演説している人はいったい何を思いながら、演説しているんだろう?
というのも、こんなことがありました……
夜の7時くらいに駅前に行くと、演説をしている女性がいました。
周りには誰1人として聞いている人はいません。
誰1人として足を止めてすらいません。
まるでそこに誰もいないかのように。
その女性は右を向き、左を向き、色々な方向を見ながら呼びかけているようですが、一向に効果はありません。
私もその1人で「演説やってるな」くらいの気持ちで素通り。そのまま電車に乗りました。
大体1時間くらいでしょうか。
用事を終えて戻ってくると、その女性は同じように演説をしていました。
やはり足を止めて聞いている人は1人もいなくて(さっきと同じですね)、やっていることもさっきと同じです。
私も通りすぎようとしていると、あれ?と思うことがありました。
さっき喋っていたことと同じ?
喋っている内容が、という意味ではなく、一語一句1時間前に聞いた通りに聞こえてきたのです。
おそらく台本?というか喋りたいことをまとめたものをスラスラと言えるようになるまで、練習したのでしょう。
さながら、その駅に呼ばれた舞台女優のようでした。
ですが、足を止めて聞いている人はいない。
右耳から左耳へ抜けていくような言葉で、喋っていたことも今では思い出せません。
この努力には意味があるのでしょうか……?
同じように喋りたいのなら、録音でいい
同じ内容の話を同じように喋るのなら、駅前で本人が話す必要はありません。
喋っている音声を録音して、駅前にスピーカーを置いて流しておけばいい。
音声だけじゃインパクトが欠けるというなら、演説を録画した動画を用意したモニターで映しておけばいい。
法律や駅のルールでそういったことができないから、本人が話しているのかもしれませんが、音楽プレーヤーみたくまったく同じ音声を繰り返し話す必要はないですよね?
音声を流しているわけではなく、人間がマイクを使って話しているのです。
ですが、私たちにはスピーカーから流れる無機質な音声にしか聞こえてきません。
台本通りに喋れないと、言いたいことを伝えられないのか?
私はああいった演説の場所では、口下手な人が有利なのではないかと思います。
演説をしている人は頭の回転も速いし、おしゃべりもうまい人が多いですよね。
だから、口下手な人が演説をしているだけで他とは違う存在に感じます。
演説がうまい人たちに私たちは慣れすぎています。
スラスラ喋れるのが当たり前だと思いながら、通り過ぎています。
その中に、口下手だけど一生懸命自分の言葉で話す人がいたら……。
何を喋っているのか気になりませんか?
口下手な人がそれでも何か、私たちに伝えようとしているのですから。
口ごもったり、上手く言えずに何回も言い直したり、無言になってしまったり……。
それが普通の人間です。
演説にはそれがないから、人間味を感じないんでしょう。
あの人たちは音楽プレーヤーになりたいのでしょうか?
1人の人間として伝えたいことがあるから、何時間も立ち続けてもなお演説をしているのではないでしょうか?
決められた台本を覚えて話すのだったら、録音でいいし、私たちにもできることです。
自分の言葉で話さないと、伝わるものも伝わりませんよね。
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