記事を書く=アフィリエイトリンクの”まとめ”を作ることではない
その人を知ったきっかけ
その人とは、会ったことも話したこともありません。
というのも、知ったきっかけはその人の書いた記事でした。
右も左も分からず、何から始めたらいいのかも分からないド初心者が『アフィリエイトで1万円の収益をあげるぞ!頑張るぞ!』と意気込んでいた記事でした。
アフィリエイトを少しでも知っている方、かじったことがある方なら分かると思うのですが、こういう人はたくさんいますよね。
アフィリエイトに夢を抱きながら、、、
ですが、現実はこうです。
いくら記事を更新しても、PVが伸びない。
成果があがらないので、モチベーションも上がらない。
「このままで続けていていいのか?」という不安。焦り。
そして、いつしか更新をするのがツラくなってきて、サイトからフェードアウト、、、
よくある話です。
そのときも『アフィリエイトに夢を見た人が書く、最初の記事』だと、思っていました。
今もブログを続けているのかな?
「そういえば、あの人は今どうなったんだろう?
今もブログを続けているのかな?」
いつもは、そんなの思い出しもしないのに。
なぜだか、ふとその人のことが頭をよぎりました。
ですが、そのサイト名が思い出せません。
たどり着いたときの検索ワードも、、、
パッと見ただけのうろおぼえだったブログタイトルでも検索してみたり、色々変えてみたり、付け足したり。
ブラウザの閲覧履歴を引っ張り出してきたり。
そして、ようやく見つかりました。
そのブログは、今でも更新が続いていたのです。
ブログ立ち上げ当初よりかは記事の頻度は下がっていましたが、それでも毎月1記事は必ず書いてありました。
毎月1記事を落とさずに続けていたのです。
まるで、いっぱいの砂山の中から、ようやくひと粒の砂金をみつけたときのような、、、
「おおっ!」という嬉しさと興奮を感じました。
「この人はこれから伸びていくかもしれない。
自分もこの人を見習って、記事を書いていこう」
ブログをブックマークしました。
いつでもこのブログに戻ってこれるように、、、
変わってしまった
月日が経ち、そのブログを見たのは、もう随分前となりました。
ブックマークはどんどん増えて、隅に追いやられていき、いつしか目につくところからは消えてしまったからです。
すっかり、そのブログのことも忘れていました。
ですが、先日ブックマークの整理をしているときに、そのブログを発見。
のぞいてみると、、、
デザインやレイアウトが大幅に変わっていました。
サイトタイトルまでもが。
まるで、たぬきち商店がコンビニやスーパーを飛び越して、急にたぬきちデパートになっていたのを目の当たりにしたような、、、
時間の流れと、少しの寂しさを感じました。
最新記事は、AmazonのSwitchBot(スイッチボット:家電やリモコンのスイッチを物理的に押すことができるロボット。スマホやスマートスピーカーで操作できます)を紹介している記事でした。
久しぶりに旧友と会ったときのようにワクワクしながら、読み進めたのですが、、、
段々と違和感が大きくなっていきます。
私が見ていた頃の荒削りの文章はもう影も形もなくなっていて、その頃にはたしかに感じられた情熱もなく、そこに書かれていたのは収益をあげるために作られた無機質な文字列でした。
アフィリエイトリンクのレンガを薄い文章の糊で接着してあるかのような、、、
キュレーションサイトのまとめ記事をさらに水で薄めたような記事でした。
2番目の記事。
3番目の記事。
4番目、、、
変わってしまった。
彼(あるいは彼女)は、あのブログで収益1万円を達成したそうです。
書いていた記事が検索上位に表示されるようになり、ある程度の人数がリンクを通じて買い物をしてくれるようになったのです。
Twitterでは「今週はサイバーマンデーがあったから、先月の収益は軽く超えた〜!! やった〜!! 買い物してくれた人、ありがとうございます!!」ともありました。
今月はさらに収益が上がっているようです。
ですが、私はこう思いました。
本当にそれでいいのか?
収益1万円をあげる目的でつくられたブログですから、正しいことをしています。
収益をあげるための適切な記事を書いています。
でも、本当にそれでいいのでしょうか?
記事を書く=アフィリエイトリンクの"まとめ"をつくることではないと思います。
ましてや、誰でも書けるような、適当に書いた文章でスキマを埋めることでもないのです。
それに、オリジナリティのないキュレーションサイトを薄めたブログは、いつ吹き飛ばされてもおかしくありません。
記事を書き続けたとして、ブログとしての資産価値になるのでしょうか?
今稼げていれば、それでいいのか?
ブログを書かなくてもいい理由を探し続けている
実際、その人も記事を書くモチベーションが下がっているようでした。
Twitterにゲームソフトの画像を載せて「記事を書かなければならないのに、また離れる原因を買ってしまった」と書いてみたり。
「今週は仕事が忙しいから、来週から記事書く!」
「ブログ書くと意気込んでいたのに、気がつけば金曜日。スキマ時間を見つけて書かんと!」
「最近ゲームばっかりしてるから、ブログを触らんとなぁ」
、、、
心の底では、そんな記事を書きたくないのでは?
私には、自分からブログを書かなくてもいい理由をつくっているように見えました。
ですが、その人の中では記事を書く=薄い文章をキュレーションサイト風にレイアウトして、アフィリエイトリンクでふんだんにコーティングすることになってしまっています。
コピペしてきたかのような薄い文章でも、不自然なつながりでの商品紹介でも、目標を達成できることを知ってしまいました。
そして、立ち上げ当初の記事のように苦労することはなく、頭に汗をかいてひねり出した文章じゃなくてもいいと知ってしまいました。
甘い甘い蜜の味は誰しも忘れることができません。
そして誰にでも書けるような、薄い文章のブログの中に埋もれていく。
気づかない内に、ゆっくりと、、、
淘汰されていく。
あの頃の輝きを取り戻すことはないだろう
もう、あのブログには、あの人には、砂金のような輝きは見られません。
あるのは、後ろにひかえている大量の砂と同じ、砂。
ただの砂粒を投げてしまったら、もう見つけることはできません。
私はあの頃の記事の方が良かった。
あの頃のあなたが書く文章を読んでいたかった。
もっと、もっと、、、
もう、叶わないようです。
PS.
このサイトにも商品を紹介している記事があります。
アフィリエイトリンクも貼ってあります。
私があの人に対してこう思っているように、私もまた、誰かにこう思われているかもしれません。
精進します。
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