一生懸命に生きなくていい理由なんてない

07/21/2019明日死ぬとしたら?

ないのです。

この記事には、『あした死ぬかもよ 人生最後の日に笑って死ねる27の質問』にある『しつもん1』の私の答えと思ったことが書いてあります。

・あと何回桜を見られるだろう?

私たちは終わりに向かって走っている

人生80年として、1年を1回としてカウント。
いま30歳なら、桜を見られるのは、「80-30=残り50回」です。

ひすいこたろう:あした死ぬかもよ 人生最後の日に笑って死ねる27の質問 P.22 より引用

順調にいけば、あと50回、60回、多くても80回くらいでしょうか?
結構多いように感じます。

でも、マラソンと同じですよね。

走る前は長い距離に感じても、走り始めると気にならなくなって気がつくと走ることに夢中になってゴールしています。

どんなものにも終わりがあって、すべては終わりに向かっている。
私たちもいつかは骸骨になるのです。避けられません。

いつかは・・・

死ぬ。
そう考えるとなんだか怖くなってきます。あなたはどう感じますか?

自分は一体何を残せるのだろう。何を残して死ねるのだろうと。

このまま何も残せずに。
このまま何もできずに。
死んでも後悔しませんか?

10年後、20年後、30年後になっても、自分の存在は誰も覚えていなくて、生きていた"跡"すら残せない。
想像すると怖い。そして寂しくなる。

人間は必ず死ぬ。
死ぬんです。

今まで一生懸命に走ってきたか

死に向かって走っているマラソン。
私はなにげなく走ってきました。

『脇目も振らず一心不乱に走ってきた』わけではありません。
『ギリギリでハーハー言いながら必死で走ってきた』わけでもありません。

中間より少し遅いくらいのペースで、ラクに流しながら。
それでも周りを注意深く見回して、遅れてはいるけど決して周りと孤立しない程度に。
ダラダラと緩慢に、ここまで生きてきました。

今となっては、それが悔しい。

気付けば、自分の人生において積み上げてきたものなんて、ひとつもなかった。

そんな私にも、死ぬときが来ます。
努力をし続けて、今も努力を積み重ねている人にも同様に死は訪れます。
もちろん、あなたにも。

一生懸命走らなくていい理由はない

どうせ走るなら、一生懸命走ったほうが満足できる。
楽に流していても、達成感なんてありませんよね?
怠惰に生きているだけ。

ぼろぼろになるまで努力した経験がないから。
限界まで走ったことがないから。

「努力できるのも才能だ」
「あの人は特別だ」
「小さい頃からやっているんだから当たり前」
「自分はあの人とは違う。ただの凡人だから」

努力して、負けてしまうのが怖かった。
だから、そんな言葉で自分を納得させて、押さえつけてきました。

たしかに、努力できるのも才能かもしれません。
あの人は特別かもしれません。

だから?

小さい頃からずっとやっているからこそ今、当たり前のように出来るのでしょう。

自分は凡人。

だから?

一生懸命生きなくていい理由にはならない。

後悔しながら死んでいきたいのか?

「あのとき少しでも本気で走っていたら、自分の人生は変わったのだろうか」

ゴール直前になってこんな後悔はしたくないですよね?
あのときは間違いなくなのでしょう。

ですが、今本気で走れば、変わることができるのかは分かりません。
でも、あのとき一生懸命走ったという記憶があなたに残ります。

その記憶はあなたの心にキラキラと光る大切な宝物になります。
どんなに口がうまい人でも、たったひとりの自分をごまかすことはできません。

私たちは終わりに向かって走っている。
忘れないように。
今、この瞬間も。

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07/21/2019明日死ぬとしたら?

Posted by hanami yozakura