1番になれないのなら努力しても意味がない――ずっとそう思っていた

2019/01/18一番思考に気づいた,明日死ぬとしたら?

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やり残したことをやるんです。

この記事には『あした死ぬかもよ 人生最後の日に笑って死ねる27の質問』の『しつもん2』の私の答えが書いてあります。

・あなたが死ぬ前に、後悔しそうなことはなんだろう?
・それは、どんな制限を自分にかけていたからだろう?

自分の心をこれだけ押し込めていた

『自由に生きることから遠ざけている14の思い込みや制限』
読んでみました。

不思議なもので声に出しながら読んでいくと、本当に心にさざ波が起こるというか、ひっかかる部分があるのです。

  • 人と違ったっていいんだよ
  • 恥をかいて人に笑われてもいいんだよ
  • もっと自分に素直に、ありのままに生きていいんだよ
  • 弱い自分を見せたっていいんだよ
  • 人に助けを求めたっていいんだよ
  • 自分を好きになって、もっと自分を信頼してあげてもいいんだよ
  • 生きたいように生きていいんだよ

私はこの7つでした。
自分の心にこれだけの制限をかけていたことに気づかされました……。

私の心の中

なんとなく、他人と自分との温度差を感じています。
ですが、無理に溶けこもうとしています。
それを冷静に見ている自分も心にいます。
「溶け込めているようで溶け込めていないんだろうな」と感じている自分もいます。

失敗することがものすごく怖い。
失敗して笑われたら傷つく。
だから失敗したくない、挑戦もしたくない。

こんな自分が心の思うままに、ありのままに生きてもいいのだろうか。
ありのままに生きていけるのだろうか。

弱い自分を見せるのは恥ずかしいし、かっこわるい。
そんな自分を見せたら、迷惑がかかる。

誰かに助けを求めたら、その人に迷惑がかかる。
それは申し訳ない。

みんな自分のことで精一杯なんだから。
自分を押し付けちゃいけない。

いろいろ考えて行動できない自分が嫌いだ。
自分のことでさえも、どこか信用できない。

ちゃんとできているか?
大丈夫なのか?
何回も確認してしまう。

確認してOKだと思っても、また大丈夫か?と不安になってくる。
少し前の自分すら信用できないのがつらい、情けない。

生きたいように生きている人たちが羨ましい。
自分にはできていないことだから。
できる気もしない。

だから、周りとうまく折り合いをつけて付き合っていくしかない。
やっていくしかない。

そんなこと、ないのかな?

自分がそう思っているだけで、思い込んでいるだけで、本当はそんなことないのかもしれません。
ステアさんの詩の中にもひっかかる部分がありました。

問題は増えるかもしれないが、想像上の問題は減るだろう。

……(中略)

何年も先のことを考えて生きる代わりに、その瞬間だけに生きたい。私はどこに行くにも万全の準備を整えて出かけるのが常だった。

ひすいこたろう:あした死ぬかもよ 人生最後の日に笑って死ねる27の質問 PP.27-28 より引用

私には、失敗を楽しめるだけの余裕も器の大きさもありません。
バカげたことをあえてやる勇気も。

バカげたことをやっている人を横目に見ながら
「なんてことしているんだろう」
「万全の準備で整えていくのが当たり前なのに」
常に自分にそう言い聞かせながら、生きてきたように思います。

でも、本当はそんな人が羨ましくて、まぶしかった。
人目を気にせず、気にも止めずバカをやれる人が暗がりの自分には、ただただまぶしかった。

私も、雨が降るであろう日に、傘を持っていかない自分を許したい。

死ぬ前に後悔しそうなこと

このままでは、あのときバカをやっておけばよかったと後悔するのでしょう。
ステアさんと同じように。

一番、後悔しそうなのは『なぜあのとき努力しなかったのか

なぜあのとき努力することから、目をそむけて見ないふりをして、見えないふりをして、なんとなくみんなが進んでいるラクな方を考えもせず、選んでしまったのか。選んでしまうのか。選び続けているのか。

努力することはダサい?
努力することはカッコわるい?
努力することに意味はない?

どれも当てはまる。
でも100%のストライクとは違う。

努力しても、自分が1番になれることは決してないから。
だったら努力しても意味がないと思っていました。

だから『なぜあのとき努力しなかったのか』と思う場面はひとつではありません。
人生の所々にシミのように点々とこびりついているのです。
決して消えてはくれない。

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