当たり前に生きていられる奇跡
「これが最後だ」
この記事には、『あした死ぬかもよ 人生最後の日に笑って死ねる27の質問』にある『しつもん24』の私の答えと思ったことが書いてあります。
今日飲むお茶が最後のお茶だと思ったら、いままでとなにが変わる?
当たり前の日々
繰り返される毎日に段々と磨り減っていって消えた感情があります。
当たり前は果たして、当たり前のことなのでしょうか。
当たり前と思ったとき、人は感謝を放棄する。
……(中略)それを当たり前だと決めつけたのは誰なんやろうか?
ひすいこたろう:あした死ぬかもよ 人生最後の日に笑って死ねる27の質問 P.196 より引用
人生何があるかはわからない。とは思っていますが、心の中でこうも思っていませんか?
また、いつもと同じ今日が始まって、今日と同じ明日があるのだろうと。
判を押したように今日と同じ明日がやってくるのだろうと。
当たり前にやってくる明日は、当たり前のこと……?
最後だと思ったら、何が変わる?
「もうこれで最後だ」
そう思ったら、何が変わるのでしょうか。
例えば、お茶だったら味わって飲むでしょう。
今まで何気なく飲んでいたお茶。
いつでも飲めると思っていたお茶。
そんなお茶も最後だと思ったら、大切なお茶に変わります。
お気に入りのコップに注いで、色や匂いを楽しむでしょう。
少しずつ口に含みながら、ゆっくりと味わうでしょう。
決して一気に飲むことはしません。
もう飲めないのですから、いつでも思い出せるように。
脳に味を覚えさせるように、ゆっくりと、ゆっくりと。
味わうでしょう。
これで最後なんだと思えば、大切に扱うようになります。
ちゃんと向き合おうとします。
『最後だと思う』心がけによって、ただのお茶であっても大切なお茶に変わるのです。
心がけが変われば、心持ちも変わります。
これで最後だと思ったら、あなたの今日はどのように変わるでしょうか?
この瞬間を生きていた人
198ページに書いてあるひすいさんのお友だちからのメール。
読んだとき、あなたは何を思ったでしょうか。
「一期一会」とは、本当は「いつも会っている人とこれが最後だと思って会うこと」という意味だそうです。
ひすいこたろう:あした死ぬかもよ 人生最後の日に笑って死ねる27の質問 P.199 より引用
私もあなたも例外ではありません。
「これが最後だ」
「これが最後だ」
「これが最後だ」
どんなことも、当たり前だとは思わないで。
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