全部ぜんぶ、生きているからこそ
その心の痛みも。
全部ぜんぶ。
この記事には、『あした死ぬかもよ 人生最後の日に笑って死ねる27の質問』にある『しつもん26』の私の答えと思ったことが書いてあります。
これまでの人生で一番嬉しかったことはどんなこと?
あの日の思い出
小学校の高学年くらいだったでしょうか。
新しいお父さんができました。
まるで子供のような人でした。
よくゲームをしていた背中を覚えています。
バイオハザード、鬼武者、ぼくのなつやすみ……。
しかもひとつのゲームを延々とやっているんです。
何十回も周回プレイをしていました。
子供ながらに、「同じゲームを何回もやって飽きないのかな?」と思ったことも数知れず。
もう高学年ですから、当然物心もついています。
そんなお父さんのことをいまいち『お父さん』だと思うことができませんでした。
同じ屋根の下で暮らしている人……?笑
私とお父さんの関係はふわふわした状態でした。
その言葉を今でも憶えている
あれはお父さんと一緒にゲームを買いに行ったときのことでした。
私にゲームを買ってくれるという名目でしたが、何かやりたいゲームがあったんじゃないかな?
ついでだからあいつを連れて行こうかくらいの気持ちだったと思います。
ゲーム屋さんの駐車場で話の脈絡はおぼろげなんですが、「さすが、俺の子だ」ってお父さんがそう言ってくれたんです。
嬉しかった。
物心ついたときにできたお父さんだから、どう接したらいいかわかりませんでした。
なんとなく怖くて、ビクビクしながら過ごしていました。
だから毎日のリビングで食べるご飯が苦痛だった。
テレビの音だけが響いている。
さっさとご飯を食べて、部屋に即退散。
でも「さすが、俺の子だ」って言葉がすごく嬉しかった。
血も繋がっていないし、小さいころから手塩にかけて育ててきたわけじゃない。
どちらかというと、変に大人びている私のことが疎ましかったんじゃないかな?
でも、嬉しかった。
あなたに子どもとして認めてもらえた。
誇らしい存在であると言ってもらえた。
嬉しかった。
今でも、記憶に焼き付いてその瞬間をしっかりと覚えているくらいですから。
たった一度でもそう呼ぶことができたら
私はお父さんじゃなくなったその日まで、一度もお父さんとちゃんと呼べなかったことを心の欠片で後悔しています。
1回でもお父さんと呼ぶことができれば、何か変わったのだろうか……?
『子はかすがい』と言うが、自分にはもっとできることがあったんじゃないのか……?
あのまま一緒にいてくれたらいいなんて、そういうことではないけれど、あなたの子どもとして、私はもっとできることがあったんじゃないのか……?
眠れない夜には、そんなことが思い浮かびます。
苦しみも悲しみもあなたのもの
怒れる。悩める。不安になれる。これも、生きているからこそのボーナス特典です。
ひすいこたろう:あした死ぬかもよ 人生最後の日に笑って死ねる27の質問 P.211 より引用
生きているから、怒れる。
生きているから、悩める。
生きているから、不安になれる。
生きているから――
この気持ちも生きているからこそ。
死ぬことだって、生まれた人だけが体験できる特典です。
ひすいこたろう:あした死ぬかもよ 人生最後の日に笑って死ねる27の質問 P.211 より引用
生きているから死ぬことができる。
私は生きている。
あなたも生きている。
たとえ傷だらけになっても
P.214にあるチャップリンのセリフ。
どれだけ傷だらけになってもいいんだ。
『生きている』んだから。
今はまだ難しいかもしれないけど、新しくできた傷もふさがりかけている傷跡も全部全部愛せるようになれたらいい。
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